17. いきるもの
“忘れはしないぞ。”
ギターのフィードバックノイズに載せて曲はじめに唄われる中村一義の力強い意志表明。せーのっ!で1発録りした、アルバム収録曲中もっとも激しく、もっとも性急なビートを詰め込んだ、ハイパーロックンロールチューン。彼の意に呼応するかのように、町田昌弘&小野眞一のパワーコード全開バリバリのギターが怒濤のように鳴り響く。そしてシンプルであるからこそ、ボトムラインをキープしながらもあらゆる場面でうねりまくる山口寛雄のベース。さらに青く青く突き抜けるようなビートと、嵐を呼び起こすかのようなサビのドラムロールとハンドクラップが圧巻な玉田豊夢のドラム。それに拍車をかけるかのような昇り龍のように天空に駆け上がるかのようなギターと、いや、ギターの音色よりも天空にコークスクリューしていくかのような池田貴史の攻撃的なシンセ。全てが、全てのメンバーがこの楽曲に込められた強き気持をパワフルにダイナミズムを増幅させる役を担い、シンプル・イズ・ベストなロックンロールを完成することに成功した。
実はこの楽曲、詩曲は中村一義なのだが、Head Arramgeは町田昌弘のみとなっている。「バーストレイン」のHead Arramgeに小野眞一の名前が筆頭に上がっているように、これは、中村一義が構想していた「いきるもの」という詩曲に町田昌弘の青きギターロック魂満載のプロデュース手法が思いっきり全面に出ているものなのだ。これこそ、100sという共同体が成立していなければ産み出されることが無かった楽曲であろう。いや、全ての楽曲がそう言えるのだが、際立ってこの楽曲に関しては中村一義本人も救われた感を強く感じただろうと憶測をしてみる。
かつて中村一義は、『太陽』というアルバムにて「生きている」という楽曲を創り上げたことがある。これは、個:中村一義が世界に飛び立った時に見た景色の中で出会った大切な人への感動と、これから出会える人への出会いの数をもっと、と。生きているのならば列車に乗り込んでまだまだ人との出会いの旅を、音とともに続けて行こう、という意を込めて創り上げた楽曲だ。そんな楽曲にこのようなフレーズがある。“どうか、忘れないといいなって、あん時の僕らを”と。時間という基軸によって人は今日を過去に追いやって様々な出来事や感動や言葉を忘れて行く。ましてや過去の痛みや苦しみは時間が経つにつれてより一層過去のものとして吐き捨ててしまう。そんな自分を恐れて、彼は「生きている」という楽曲にそのフレーズを刻んだ。出会った幸によって押し出されるブルースを忘れないようにと。“忘れはしないぞ(中略)「忘れはしない」と、天の邪鬼なおまえが言った返答を”
これは突き刺さる。今まで彼が僕達に突き付けてきた言葉を忘れてしまっている自分に気付く。
“忘れはしないぞ(中略)「忘れはしない」と、天の邪鬼な自分が言った自答を”
そして自分にも突き刺す。先に上げた「生きている」を代表とする様々な彼の楽曲達で綴った自分自身の言葉を忘れてしまっているかもしれない自分に気付かせるかのように。そして。
“あぁ、「忘れない」を、さぁ、忘れないぞ”
なんて簡素な口語なのにこれまでもこのフレーズは響き渡るのか。それは僕らは本当に忘れる生き物で、都合の良いように日々の帳尻を合わせてしまう生き物なのだから。それは人の死もそうだ。その時の哀しみもそうだ。忘れてしまう。でもその時は絶対に忘れないという風に思っていてもその忘れないを忘れてしまうのだ。あまりにも簡潔であまりにも当たり前なのかも知れないが、当たり前のことをこれほどまでに当たり前ではない言い回しで、口語を唄にしてしまうという手法で突き付けられるのは彼しかいない。
さあ、僕も、このレビューに込めた想いを忘れない。忘れないを忘れないぞ。