16. 光は光
池田貴史の暖かなピアノの旋律に載せて中村一義が光を唄う。オーセンティックな8ビートに載せて中村一義が光を唄う。
“光りには光り。”
そう綴られるサビの部分で玉田豊夢のビートが、少し足早になる。
“世界中に想いよもっと降れ。”
と、唄い上げた後に“オー、オ”と優しく叫び上げられる瞬間のブレイク。光と想いがどこまでも届きそうな感覚に陥る。
“今日、届くこの光の中に…。”
というフレーズで締めくくられるCメロの後に流れ出す一点の曇りも無いストリングスの煌めき。光と想いと願いと朝日がどこまでも、世界のどこまでへも届きそうな感覚がこれでもかと心に響いてくる。
タイトルは「光は光」。もしかしたら、「光」というタイトルでも良かったのかも知れない。中村一義の一連の作品群の中でもタイトルに「光」という言葉を載せたものは無かったという理由も然りで、光というテーマをモチーフにした作品は多々あれども今までタイトルに「光」という言葉を載せたものは無かったという理由も然りで。でも彼は、「光は光」と。光輝く曲のタイトルに「光は光り」と名付けた。それは、闇を消すものとして存在する光という単一的な光に対するイメージだけを表現しようとしていないからだ。
光といっても色々な光がある。破滅的な光もある。瞬間に消えてしまう光もある。そんな光達はすぐに闇へと様相を変える。そう、ならば闇に光をまた照らそうと、そういうベクトルで光というものを捕らえても良いのだが、そう唄うではなく、どんな光も光だけど、光にさらに願い想いを込めた光を放てばマイナスの光もゼロになる、プラスの光に至ってはさらにさらに光輝くであろうというそういうベクトルで光という存在を捕らえている。様々な光が描き出すプリズムを。
この楽曲に至ってはもうこれ以上歌詞に言及するのは如何なものかと思う。語ることを投げやってしまいたいからということではなく、ただ、楽曲を聴き、歌詞に目を通すだけで、100sが伝えんとしていることが全てあなたの心に届くであろうから。でもただ、ただ、ひとつだけ。“で、君自身の光。”
これが無ければね。いや。あるんだからね。みんなに。心の中に。光がね。本当だよ。忘れないでね。「セブンスター」をね。忘れはしないぞ…。