14. 扉の向こうに
一連の『OZ』の第2部を締めくくる楽曲がこれ。かのジョン・レノンの命日、12/8、日本青年館にて行われたイベント“SPACE SHOWER TV 15祭/100s [OZ]ナイト”にて唯一歌詞を発表して聴き手の僕らに一直線に鳴り響かせてくれた泣かずにはいられない珠玉の名曲。先行PVとしてテレビを通して見た人も多いであろう。
「ここが果てなら」以来、このアルバムの中ではそうであろう。オールバンドサウンドで奏でられるこの楽曲は、言わずもがな、中村一義個人の一連の過去の作品を喚起させられるものとなっている。メロディーの秀逸さはもう、あらゆるポップ・ミュージックと比較しても絶対に負けないほどのクオリティを誇っている。
誰かを非難する意で言うのでは無い、ましてや100sの立ち位置を非難する意で言うのでは無いということを大前提として語る。これほどのメロディーを彼等以外の誰が創れると思う?もし、今現存する様々なメジャーな(一般的にいうポピュラリティを得ているメジャー)なアーティストがこれを創れたとしたら、彼等が創って日本中の大多数が聴くであろうポップミュージックのフィールドのカオスの中にこの楽曲が飛び込んで行ったら、どれだけの人々に影響が、そしてどれだけの売上になるのだろうか?と妄想してしまうほどの名曲だ。
例えば、中村一義の『ERA』に収録されていた「君ノ声」が、当時アルバムリリース時にはあまり名曲扱いされていなかったにも関わらず、その後、100sのメンバーによってライブを重ねて行くことによって、彼等にとっても受け手の僕達にとってもとても大切な名曲に育って行ったという経緯がある。その経験則がある昔からのファンである輩にはもう、この曲は時代を超えて響き渡る名曲として心に刻まれ続けるのだろうと確信する。“同情と嘘に〜”という部分の一連の歌詞。「永遠なるもの」を彷佛とさせるホーンセクションの鳴りを挟んで、“愛せるか? 愛してるさ”
の歌詞で泣く。“愛せるか?”それでも“愛せるか?”なにがあっても“愛せるか?”という自問自答。世知辛い世。なにが本当でなにが嘘なのかわからない現実。その現実さえも夢なのかも知れないというリアリティーとヴァーチャルな世界が渾沌とした現実。でも、でも、僕らは、なんでもいい、なんでもいい、“愛せるか?”。そして、“愛せるさ”と。なにがあっても“愛せるさ”と。泣く。
もういい。もういい。もういいだろうよ!