13. Honeycom.ware
アルバムの第2弾先行シングルとして発売された珠玉の名曲「Honeycom.ware」。1stシングル「A」からの多大なる飛躍。このシングルを突き付けられた瞬間、来るべく『OZ』というものがとてつもない壮大なスペクタルをもたらしてくれるのであろうと感じた。いや、それよりもなによりも、カップリングの「初終」&「B.O.K」を含めての3曲を聴いて、この3曲だけで1つのアルバムが成立してしまうのでは?と思ってしまったほどだ。それほどに、この「Honeycom.ware」という楽曲は強烈なインパクトを与えてくれた。
そのインパクトはこのアルバム『OZ』に収録された後にも決して色褪せないどころかより一層際立った存在感を放っている。「Santa's Helper」のダビーなトラックから絶妙に紡ぎだされる池田貴史のメロトロンの音色。まさに「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」。そして音楽の基本であるBPM120前後の間のビートを刻み続ける玉田豊夢のドラムと、左右のチャンネルを行き来しながら絶妙な間を持って鳴らす町田昌弘と小野眞一のギターのカッティングが楽曲冒頭を飾り、“爆音、爆音〜”という、あたかも“Back On, Back On〜”とでも聴き間違えをしてしまいそうな中村一義のファルセットが入り込み、山口寛雄のベーシスト然とした揺るぎなくタイトなベースラインが鳴る。この、サビでもありイントロでもある部分だけで昇天する。
「OZ」からはじまった第2部の世界観がある程度ここで集約される。集約されて、命ある、身体ある、本来の日々生きる僕達の思考、心が徐々に着地点を取り戻すことが出来る。揺らされ、振らされ、落とされという楽曲群によっての弛緩により、見えない世界からの視点を否応なく感じさせられた感覚からすーっと今いるこの地に足が着く感覚を取り戻すことが出来る。まるで遠く彼方から僕を呼び起こそうと、往き過ぎた僕の魂を現世に呼び戻そうとしているかのような楽曲。そしてそれらを通過した後に辿り着いた現実の僕らの視界には、爆音ゾーン。“憂いな”
憂いという言葉を彼等なりの造語で表現した言葉。爆音ゾーンが広がる世界で悲しみ嘆き苦しみなということだろう。
“君が望むならしな、しな。心生きるのなら”
“僕らやれるのならしな、しな。それで死ねるのなら”
“しな、しな”というとても簡潔なフレーズで中村一義は生と死の選択を投げかける。
あまりにも少数の人間の意で構成された現実世界。その中で僕らは引き裂さかれ、心の奥底にある本意が見えなくなり、自分の生死さえも目に見える世界の基軸で判断してしまう。でもそれは違うはずだ。今日を生きる僕らに、当たり前のように自分自身に生を全うする、死を選ぶ権利がある。それには本当の憂いを感じなければ。憂いを通過しなければ、闇を闇としてしか受け入る事が出来ない。光り輝くものの眩しさを感じることが出来ない。
ある意味「OZ」〜「Santa's Helper」の流れの中には、楽曲としての、メッセージソングとしての救いが無かったのかも知れない。だからこそ、自分の心から湧き出る恐怖と不安が綿々と続いていたのかも知れない。現実と夢の境界線のない世界を泳ぎ続けていた。しかし、この楽曲全編に広がる、キラキラと瞬き時には流星のような輝きを表現するかのような音色が広がる瞬間瞬間を心に刻むと、それでも光あるものが僕らの目の前にちりばめられているんだよと。希望が。そう思わざろう得ない。“光る/来る”
最後の最後で断言されるこの言葉。僕はこの言葉を望み、心生きるから、する。生きることにする。
※2005年1月13日のニュースで、ビートルズの「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」の題材になった英リバプールの孤児院「ストロベリー・フィールド」が閉鎖されることになった。ジョン・レノンが幼少期の現実を元に夢物語として産み出した素晴らしき楽曲のモデルとなった場所が、フォーエヴァーではなくなってしまった。時代の流れとはそういうものだ。だからこそ刻むんだ。心に。今日を。
※100s 2stシングル「Honeycom.ware」発売時のレビューを読みたい方はこちらに寄り道して下さい。