8. (For)Anthem

 Anthem。聖歌&賛美歌。聖歌&賛美歌のための聖歌&賛美歌。(For)Anthem。「ここが果てなら」同様、詩、曲、Head Arrangeとも中村一義が担っている。魂のこもった簡素でありながらも深遠なる歌詞とメロディーのリフレインをもっと、よりもっと永遠に響き渡るような楽曲に仕上げる為にバックアップしているのは、このアルバムにて、100s以外の参加メンバーの1人である高野寛。中村一義のデビュー時代からの旧知の仲である彼が中村一義と一緒に手を組み、かくも壮大でありながらも生暖かく人間味のあるストリングス・アレンジを施した旋律が楽曲全編を包み込む。そしてそのストリングスのベースを深く穏やかなトーンで支える音色。敢えてピックアップするとするならば、イントロのオルガン、アウトロのシンセの秀逸な音色を彩るのは池田貴史による独奏。

 “彼岸とは無さ、消えぬ命よ。過去/未来も、ちぎれそうな愛”

 彼岸とは仏教用語で、「悟りの地」。そこで人は命果て、死に至るという通説。それを彼は信じない。いや、そこを無としても、死とは命が果てるものではないと。生死に関わらず命というものは時空を超えて存在するものだと。決して離れない、愛とともに。

 “此岸こそ夢さ、ならば望めよ。忘れないよ。もう、ちぎれそうな愛”

 此岸とは仏教用語で、彼岸の反対語、「生死から解脱しない、現実のこの世」。彼岸が無であるなんてそれこそ夢物語。現実的に感じられぬもの。故にそれに相対する此岸だって夢だろうよと。ならば、夢も現実も定義付けする必要は無い。出来ない。だからこそ忘れずに望むのは、決して離れない、愛。

 “誰にも見えない、知られぬ者へ。”
 “誰にも見えない、声無き者へ。”
 “誰にも見えない、名も無きものへ。”

 彼岸も此岸も夢も現実も境界線があいまいになっている世界。死に往くものはどこに在るのか。名を授かった者も名を捨てて往ってしまうという儚さ。もう知ることも声を聴くことも出来ない往ってしまった命への儚さ。でも、命というものは決して消え去らないもであると信じ、だからこそ今の自分に出来ることは、形なき命へ送る形なき祈りと、形なき愛を繋ぎ止めることなのだろうと、思う。