6. なのもとに
アコースティック・ギターのカッティングでビートが構成され、ほとんどの楽器がアコースティックな音色を基調とした牧歌的な空気感を響かせる穏やかな、そして暖かなバラード・トラック。音数が多いようで少なく感じさせるシンプルな楽曲であるところに歩調をあわせるかのように、歌詞に至っても楽曲同様、シンプル。メロディーも抑揚を出来る限り押さえ込み、平穏さを保つように唄われている。『OZ』収録曲の中ではもしかしたらインパクトに欠けると思われるかもしれないが、そういう意味に置いて、逆説的にインパクトを与えてくれる楽曲。
「名前」。世界中に何人の人間がいるかどうかわからないが、自分と同姓同名の人間が何人いるかわからないが、自分の「名前」は唯一無二だ。その「名前」を受け今日を生きている人それぞれにたくさんの世界が存在しているという意味で。そして世界中で何人の人間がこの瞬間命を落としていても、命を落とした人みんなに唯一無二の「名前」が存在している。「何万人の死亡者が確認されました」なんて数字で伝えられても現実味が沸かない。だってその何万人の人間それぞれに「名前」が存在しているんだから。そして、その「名前」は、この世に生を受けた時、親という存在に付けられた名前だ。自分の親という存在が自分にとって唯一無二の存在であるということと同様にやはり自分に付けられた「名前」というものは唯一無二である。そこに愛がある。愛がある?いや、「名前」を付けられたという行為自体にはもしかしたら愛は無かったかも知れない。けれど、授けられた名前で生を全うする中で出会った愛すべき人達に僕達は「名前」を呼ばれる。そこで愛が生まれるのならば、自分の存在としての「名前」には愛が込められることになるのだ。例えひとりぼっちになっても、自分を愛おしく思えればそこから愛が生まれるように。
楽観論ではない。ましてや悲観論でも無い。だってどうあがいたって自分からは逃れられないから。自分から生まれる希望絶望からは逃れられないから。はじめて受け取った名前から僕らは今生を全うしているのだから。らら。この曲を通過して『OZ』3部作の1部が終わる。
ここの1部をまとめると、唯物論という世界、目に見える世界に住む人間という「個」の存在の力強さと儚さと重さを感じ取ることが出来るのでは無いだろうか?