5. ここが果てなら
「バーストレイン」から一転、ギター一発鳴った瞬間に強烈なサビのフレーズ現れる。あれやこれやの飾り付けられた音をいっさい詰め込まず、純粋なバンドサウンドを基調として鳴らされるロッカバラッド。しかし、楽曲構成は在り来たりな構成にとどまらず、相変わらず秀逸なものになっている。ヴァース、コーラス、ヴァースというポップスの普遍構造はここには存在していない。どこを切り口にしても、各々のメロディーが際立って心に響く。そして、この楽曲は、詩、曲、Head Arrangeとも中村一義が担っている。そうか、と改めて納得してしまう。と、いうところからしても、中村一義名義の一連の過去の作品をどうしても回顧してしまう。特に、僕は、この曲を聴いておもわず『太陽』収録曲の「魂の本」を想起してしまう。
『金字塔』という壮大な、個のプロジェクトを完成させた後に見えた世界、その世界をどう受け止めて歩んで行けばいいのかという。そんな不安と、当時の世紀末ブームによって時代性というものがよりリアルなものを求めていたという状況に裂かれそうなぎりぎりのところで吐き出した「魂の本」という楽曲。そんな追い詰められた彼の心情模様がこの「ここが果てなら」という楽曲に詰め込まれた心情模様とリンクしてしまう。“ここが果てでもいいや。”
そうやって言葉を投げ捨てる彼の無防備さ。一連の彼の作品の中でもあまり類を見ない。そんなフレーズが繰り返し綴られる中でまるで、いや、もうそのまま自分自身に対して問いかけ、問いかけ、納得させている姿がありありと垣間見られる。弱い。彼の弱さが滲み出ている。でも、今彼は、100sという深遠なる仲間を手に入れたのだ。本来彼の中に存在している強さを何倍ものスケールで表現することが可能なのだ。でもでも。強さと弱さは表裏一体だ。強き勇者に宿る心の弱さは、か弱き弱者に宿る強き心と相対なる力がある。故に彼の中からこのような楽曲が生まれでたのであろう。
この唄は、当たり前のように聴き手に向けて唄われているものでもあるが、それ以上にもしかしたら中村本人以外のメンバーに向けて唄われているのかも知れない。『OZ』という構想が破綻しても、また中村一義という個から声を改めて発すればいいんだよ、な、俺。という気持を吐き出しているような気がしてならない。でも…、“赤、青、白、並んだ未来、未来。”
博愛、自由、平等、並んだ未来を見て歩んで来た彼。しかし、100sという共同体で…、
“手と手をほらかざしたら、そう、上。虹。”
色んな色に彩られた虹が目に見えた。その希望を信じると。そんな…、
“時が満ちたから、旅立つ決意。”
ということなのだろう。うん。
“よく聴いてたリズム&ブルース、イエス。”
過去の自分にイエスと言い、また旅立つ。でも…、
“あぁ、涙が溜まったら、また逢おうな。”
と。帰り付く自分自身という家路に向かう、と。