1. OZ

 100sのデビューアルバム『OZ』。タイトルの由来はハリウッド映画の永遠の名作「オズの魔法使い」にも繋がる。このアルバムを創り上げる際にメンバー全員で中村一義の自宅の一室「状況が裂いた部屋(※彼自身が今まで様々な作品を産み出した自室)」にて一緒に「オズの魔法使い」を観たという。それは個々それぞれのメンバーの「個」「世界観」を一つの作品に落とし込む際に必要不可欠であった行為。いや、本来ならばそういう行為は必要ではないのかもしれない。普通の、結成する前から何かしらの価値観を共有したメンバーが集まったバンドならばそんな行為は必要ないのかもしれない。でも、彼等は個々それぞれのパーソナルな活動をこなしているメンバーの集まりだ。故に、必要不可欠である行為であった。
 中村一義が「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2001」でのライブを演奏するきっかけで出会った彼等。幸運な出会い。「博愛博」なる度重なるツアーや、前作『100s』を創り上げることによってより深まった絆。しかし彼等はそれだけでこの共同体を終わらせることに疑問を感じた。「中村一義の100s」というバンドとしてでは無く、もっと深く、もっと音楽的にお互いの才能を火花散らして「100s」というバンド名義で作品を残したいという欲求にかられた。そのような意気が溢れ出たからこそこのアルバムを創る経緯に流れたのだ。
 そういった意味でこれは6人の個の異種格闘技でもある。メンバーそれぞれが居場所を持つ輩であるにも関わらず、100sという不確かな共同体として作品を創り上げるという行為自体普通ならあり得ないのだから。しかし彼等は、音楽作品の極みを、今まであり得なかったような楽曲を、6人の個を集約して創り上げることが出来ると確信して『OZ』を創る決意をしたのだ。
 そんなアルバム『OZ』の冒頭を飾る曲。「OZ氈v。アルバム全編を包括するイントロダクション。『OZ』のアルバムを3部構成で区切ることとしての第1部を飾ると言っても暴言では無いイントロダクション。中村一義の『ERA』の冒頭を飾る「イーラ」を彷佛とさせるイントロダクション。しかし、これはそんな比較論では語れないほどの無数の音が詰め込まれている。“オズ”という無機質な声に挟まれて鳴り響く音像は、まさに「オズの魔法使い」の中で、ドロシーが現実の世界から夢の世界に導かれる時に巻き起こる竜巻きのような轟音が鳴り響く。もしくはアルバムジャケットにもなっている地球。そう、地球が誕生した瞬間に宇宙全体に鳴り響いたビッグバンのような轟音。そんな爆裂音の中で様々な声のサンプリングが浮遊する中、先行シングル「Honeycom.ware」のカップリングとして収録されていた「初終」のアカペラが流れ出す。初まりも終わりも一つの点として刻まれる。その点のコアは時系列に関係なく僕らの今日に記される。現実も夢も一つの点。何が初まりで何が終わりなのか、何が現実で何が夢なのかわからない時代。でも、今日という日は、今いるここだけは真実であるということ。その一点に集約される。
 とにかく、ここからはじまる『OZ』というアルバム世界に轟音とともに聴き手の僕らは導かれてしまう。

 We wanna go today。