BEN thinks Little of Sneakers / module
VOXOV RECORDS (VRCSJ-1045)
(official site)

 日本の音楽には、英米などにおけるポップ・ミュージックのルーツたるものが存在していない。当たり前のようであまり理解している人がいないと思うが、英米におけるポップ・ミュージックが、自国で長年熟成され産み出されたジャズやブルースなどをルーツとして生成発展して行ったのを考えると、それは明らかであると理解してもらえるだろう。故に、日本のポップ・ミュージック・シーンというものの生成発展は明らかに英米などとは異なる歴史を歩んで来ている。しかし、このルーツ無き土壌である日本において、英米などのポップ・ミュージックに引けをとらないほどのポップ・ミュージックを表現しようとするアーティストがここ数年で確実に増えた。“J-POP”“J-ROCK”などという表現が始まったのもここ最近の話。だが、あくまでもそれは“J”という頭文字を付けざろう得ない状況が物語っているように、日本人としての唯一のルーツである歌謡曲や演歌などの土着的なメロディーや楽曲構成に感化されながらポップ・ミュージックを鳴らしている証拠である。それはそれで健康的な発展ではあるが、“どうにも鎖国的であるのではないか?”と暴言を吐いてしまいたくなってしまう時がある。それは、“もっとワールド・ワイド!に”と。“もっと英米などで培われたポップ・ミュージックに足並みを揃えたアーティストを!”と求めるリスナーが増え、それを表現し得るアーティストが格段に増えてきているからだ。しかし、それさえも2005年の今となってみれば当たり前の状況になって来ている。ルーツ無き土壌にて培われて来た日本独自の音楽に感化されずに、独自に自らのルーツを咀嚼し、オリジナリティ溢れる音楽を創り出している日本のアーティストが増えて来ている。今や、ルーツありきの英米などの諸外国のアーティストに逆にリスペクトされる日本のアーティストさえも存在しているという状況さえも産まれて来ている。そんな状況の中、また新たなバックボーンを糧にして、この島国にて、唯一無二の音楽を鳴らすことに成功したアーティストがここに誕生した。時代の潮流に左右されず、ジャズやブルースやファンクやソウルの純粋なルーツ・ミュージックを独自に咀嚼して、類い稀なるテクニックで、新たなベクトルで素晴らしき音楽を表現し得るアーティストが誕生したのだ。それが、平均年齢22.5歳という驚愕の4人組のバンドである、このBEN thinks little of sneakersだ。

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  「module」(直訳:単位、基準単位)というこのアルバム。彼らの原点になるものだと冠されたであろうこのアルバムのM1「言葉にしたい」のイントロ部分。まだメロディーが流れ出す前の音塊に身を委ねるだけでも彼らの高度なテクニックに裏打ちされた演奏に圧倒される。ギター、ベース、ドラム、キーボード。全ての音塊が合致した故に産まれ出すグルーヴ。そして、ヴォーカルの入江大輔の透き通ったソウルフルなヴォーカリゼイション。何故にここまで純粋にこのグルーヴを、ソウルフルなヴォーカリゼイションを、何の衒いもなく表現することが出来るのだろうか? 若さ故の性急なる勢いによるものなのだろうか? いやはやそうではない。“俺たちにはソウル(魂)を込めることが出来るが、ソウル(ソウル・ミュージック)を名演することは到底出来ない!”というルーツ無き日本人であるが故の諦念が彼等には全く持って見当たらないからこそ表現出来るのである。そう、彼らの基準単位(「module」)にはそんなものは皆無なのである。それは、M2「夜行郵便」のような、熟練したジャズ・ミュージシャンにしか演る意義が無いという偏見さえも感じてしまうような大人びた繊細な楽曲を、彼らが、今に至るまでに当たり前のように磨き上げたテクニックを駆使して演れてしまうという“事実”によって証明されている。その“事実”、言い換えればそれは“自信”だ。彼等の飽くなき音楽への愛情が込められた探究心。そこから始まったミュージシャンへの道程で培われた、ごく自然な努力を伴った上で手に入れたテクニックへの“自信”が、彼等をここまで大胆にさせるのだ。

  例えば、かの小沢健二というアーティストが独自のポップネスをメジャー・フィールドにドロップした後に、ストイックに、より高度な楽曲を産み出そうとして、ルーツ・オブ・モータウンな楽曲に辿り着き、彼の培って来た全てのテクニックを駆使して、純度の高い音楽を作り続けるしか行く先を見出せなかったという歴史。それを改めて振り返ると、彼ですら、ある程度の歴史歩まなければ辿り着けなかったはずの“自信”に基づいた楽曲表現を、BEN thinks little of sneakersはすでに掴んでいると言ってもいいだろう。もう、アルバム冒頭の2曲だけ聴いただけでもこれほどまでに彼等の凄さに打ちのめされて、これほどまでに彼等の魅力に感服してしまうのだが、まだまだ終わらないのがこのアルバムの魅力である。M3「秘密のハミング」に至っては、ジャズ色が強い楽曲の中に、彼等なりのファンクネスさえも詰め込んで、とてもナチュラルなダンス・ミュージックとしても機能するとてもグルーヴィーな楽曲に仕上げている。そして、思わず一緒に口ずさんでしまいたくなるメロディーさえも鳴り響かせることにも成功している。ここまで色とりどりの表現をこなしてしまう彼等の無尽蔵さ。もう、諸手を上げて完敗するしかない。

  そして、M4「君は横顔」。4ピース・バンドであり、音数が少ないバンドであるが故の脆弱さなんてものを、彼等は全く持ち合わせていないということがありありとこの楽曲で伝わって来る。入江大輔の、スウィートでメランコリックな感情を軸にしながらも、男性ヴォーカリストとしての力強ささえも聴き手に突き付けるヴォーカル。東陽平の、時にはメロディーの上を泳ぎ、時にはリズム隊に劣らないほどのビートを裏で刻み、ギター・ソロでは誰も介さないほどの世界観を作り上げながら唄うように鳴り響くギター。岡本健志の、メロディーとビートの合間を抑揚のある暖かみのある音色で鳴らし、絶妙の間でロウとハイを行き来しながら楽曲全体を支えるベース。後藤卓の、ただただビートを鳴らし続けるだけではなく、シンバルやハットの金属音の繊細な音階を絶妙にブレンドさせながらも、打楽器の範疇を超える音色を鳴らし続けるドラム。この楽曲を聴くと如実に感じるのだが、改めてアルバム全編を通して感じること、それは、この彼等にしか成し得ない個々の名演の集合体がBEN thinks little of sneakersを創り出しているのだと尋常じゃ無いほどの実力で納得させられることだ。それに、この楽曲は他の楽曲に類を見ないほどのスローでスウィートなラヴソング。そう、ラヴソング。このアルバム全編に渡って唄われるラヴソングの数々。ここで言うラヴソングとは、巷に溢れた恋愛ゲームのそれではないラヴソング。本当のソウル・ミュージックであるが故に突き刺さるラヴソングなのである。

  そして、彼等の現地点でのあらゆるポテンシャルを全て出し切っている楽曲がM5「You Were Just My Soul」だ。この楽曲に秘められた全てが彼等であり、彼等は全てをこの楽曲に詰め込んでいると言っても過言では無い。決して楽曲はアップテンポではないし、メロディーの緩急も激しくアップダウンすることも無い。にも関わらず、楽曲後半部分にて入江大輔のファルセットが耳に突き刺さった瞬間、聴き手の僕の魂は震える。踊る。熱くなる。高揚する。そう、当たり前の話だが、ジャンルは問わず全てのソウル・ミュージックというものはアーティストの魂から沸き起こった瞬間の感情の高まりが聴き手の魂に突き刺さった瞬間を感じ取った時に成立する。それがものの見事にこの楽曲にて成立しているのだ。あまりにも素晴らしくて言葉を失う瞬間。音楽を好きでいて良かったと思わずにいられない瞬間。自分の魂が生きている証を教えてくれる瞬間。この楽曲を聴くとそれらの瞬間の素晴らしき感情が止めども無く溢れ出して来る。そして、この感情を確かめたくて、本当なのか確かめたくて、改めて1曲目からこのアルバム全編を聴き直してみる。何度も、何度も聴き直してみる。それでもこの感情は色褪せない。むしろ増幅して行く。これは彼等でしか成し得ない音楽の魔法である。「module」というアルバムによって産み出された魔法であるのだ。

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  ベン・フォールズ・ファイヴ、ジャミロクワイ、ソウライブ、小沢健二、スティーリー・ダン、スティーヴィー・ワンダー、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、マイルス・デイビス、ハービー・ハンコック、カウント・ベイシー、ウェス・モンゴメリー、セロニアス・モンクス、キャノンボール・アダレイなどなど……。彼等の音楽の原点を紐解くとこういったアーティストの名前がたくさん上がるのだろう。でもそんなことはどうでもいい。音楽を聴く僕らにはそんな知識なんて皆無でもいい。ただ、ポップ・ミュージックのルーツ無き土壌である日本という島国において、これほどまでに完成度の高いソウル・ミュージックを、ポップ・ミュージックを産み出した彼等の奇跡に打ちのめされて、目に見えない自分の魂を感じることが出来たのなら、それだけでいい。そう、僕はこのアルバムを聴いて、彼等に対しても、音楽というものがこの世に存在していることに対しても、例えようの無い万感の思いが込められた感謝の気持ちが溢れ出して止まらなくなっているのだから。


2005年11月 保坂壮彦 / ALL IS LOVE IS ALL